【コーチングについて:その3】

 

9)選手を育てるのは指導者か?

 実力のある将来有望な子供がチーム内にいたり、成長して高校などで活躍していると、指導していた監督や指導者の中には「あの子は俺が育てたんだ」という方が時々いらっしゃいます。その実情は分かりませんが、筆者は『育てた』という言葉に少し引っかかってしまいました。

 少年野球において、選手=子供を『育てる』とはどういう事なのでしょう。週に二、三度グラウンドで野球の指導をすることが『育てる』ことなのでしょうか。毎日のように子供に接する学校の先生も「育てる」ということなのでしょうか。『育てた』ではなく『教えた』なら、その中身はともかく事実なのでまだ多少納得がいきます。しかし『育てた』と発言する本心は…?

 辞書によると【育てる=①手間をかけて養い成長させる。養育する。②能力などが伸びるように教え導く。手を掛けてやったり、教え鍛えたりして、一人前として通用するまでにする。③小さな規模で出発した組織•団体などを発展させる。ある考え方•気持ちなどが伸びていくように力を尽くす。④手なずける。おだてる。そそのかす。(抜粋)】とあります。確かに野球を通して指導することは『育てる』で間違ってはいないようです。

 たぶん筆者の歪んだ見方とは思いますが、『育てる』のは指導者ではなくて、親御さんやご家族ではないでしょうか。食事を与え、考え・思考の基礎を養い、様々な責任を背負っているは、ご家族だと筆者は思うのです。「俺が育てた」いう方は、主に才能や実力のある選手についてのみ『育てた』と言います。しかし問題にならない中程度以下の選手の場合は『育てた』とは言いません。これは、その指導者の指導を忠実に学んだものと学ばなかったものの違いなのでしょうか。有能な選手の実力は、指導者のすばらしい指導によって身についたものかどうかは知りませんが、本質はその選手の持って生まれた体力や才能と、それを養い成長させてきたご家族の愛情によって開花したのではないかと筆者は思います。高校野球以上なら、指導者によって野球技術や精神的な部分で影響を受ける可能性はあると思います。もちろん少年野球においても指導者の与える影響は多少はあるでしょう。しかし、それは指導された子供本人にしかわからない、もしくは意識していない事だと思います。成長した子供本人が「育ててもらいました」と発言するのは理解できますが、指導者が自ら「俺が育てた」などというのは気恥ずかしいように思うのは、やはり筆者の歪んだ見方【極私的】なのでしょうね。どう思われますか?

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10)子供は育つ!

 前述のコラムでは『育てる』ことについて書きましたが、言葉遊びのようですがもう一つ考えることがあります。それは、子供は自ら『育つ』ということです。

 子供は食事や教育などの良い環境が与えられれば、自然に育ちます。つまり子供には、生きる力、育つ力が備わっているのです。そして、生きたい育ちたいという欲求を持っています。環境を整えるのは、親御さんやご家族でしょう。野球については、コーチがどんな指導をしたかにかかわらず、本来、子供自身が野球を好きになり努力し成長してきたからこそ、野球が上手になれるんです。もちろん指導者やコーチの影響を受けることは多少あるかもしれません。しかし実際にコーチなんかいなくとも、野球をする環境があり、何年か野球を続けていれば、レベルはともあれ上達しない子供はいません(小学生高学年は神経系の成長がもっとも著しいゴールデンエイジなので上手になる速度も速い)。だからこそ少年野球のコーチは、自分の役割を改めてよく考えて欲しいのです。自ら成長しようとしている子供の心と体の、その成長過程を阻害するような指導を絶対にしないよう心がけるべきなのです。子供の成長をコントロールできるとは思わないでください。子供は個性を持って成長しようとしています。親でさえ、彼らの成長を押さえ込むことはできません。コーチは子供が困った時にアシストできればいいんです。行く道は結果的に子供自身が切り開くものです。

 指導者・コーチの方は「自分ならこの子を上手くしてやれる」「子供たちのために自分が居なければ…」と思いこみすぎないようにしたほうがいいと思います。そのおごりが子供の個性や自由な成長を歪めることもあり得るのです。コーチである貴方がいなくとも、子供は必ず成長します。

11)指導を聞かない子供

 筆者の指導していた少年野球チームの子供の中には、指導を聞かない子供がいました。何度言っても間違ったことをしたり、悪い部分の直そうとしません。決して指導者である筆者を無視したり反抗しているわけではありません。確かに言われていることがイマイチ分かっていないようではあります。たとえ分かっていなくとも、まず指導内容を実行・継続してしてほしいのですが、それもしないので結果がでません。即効性のあることならすぐ効果が現れるのですが、それも次の練習では全て忘れています。しかし、技術的なこと以外で興味のあることには非常に喰いついてきます。本当に指導のやり甲斐がいのある、また指導の難しい子供がいるのです。筆者のひとつの結論は、指導を聞かないのは“その子供の性格であり、特長である”というやや投げやりな答えでした。そういう子供は『自分のやりたいことと興味のあることは実行する』『疲れる等やりたくないことと興味のないことは積極的に実行しない』という思考回路で動いているようなのです。バッティングはやりたいけどバンド練習は嫌、鬼ごっこはいいけどランニングは嫌という感じです。野球を学ぶというより、遊びに来てるような感覚です。

 筆者は、性格に要因があるのなら無理に指導内容を押し付けても意味がないと考え、何とか興味を引くような指導方法にしたり、無視されることを分かった上で「こうした方がいいよ。きっと上手くなると思うよ」などと押しつけでなく提案のような形で指導を続けました。しかし筆者がチームを離れることになり、結果は出ませんでしたが、その子が成長していく中でもう少し変わっていったかもしれません。いつか彼が野球を学びたいと思ういう時が来たらいいのになぁと、筆者は願っています。

 筆者が言いたいのは、いろんな子供がいて積極的に学ばない子もいますが、指導者・コーチはそういった子供もおざなりにすることなく、その子にあった指導方法を模索し実行してあげてほしいのです。とにかく聞く気がない子を怒っても意味がありません。たぶん無理矢理やらせても身には付かないでしょう。コーチの指導を聞きたくなるように促すのがコーチの腕の見せ所。例えば他の子供が楽しそうにやっていれば、その輪には入りたくなるもんです。その子に執着しすぎず、放っておかず、性格を探り、長所を見つけ出し、好奇心を刺激してやるのも方法だと思います。

12)人を見て法を説く

 人には、それぞれに個性的な体格があり性格があります。小学1~6年生と年令の差があると、体力差や技術の習得力において多様性の幅も広くなり、当然ながら理解力・吸収力・表現力も皆一様ではありません。チームでの練習は、ある程度のレベル分けもしくは課題によってクラス分け等を行って、効率よく指導を行うことがほとんどだと思います。そうした指導の中で、さらに細かく、できるだけ個々の選手・子供に合わせた指導を心がけることが理想ではないでしょうか。つまり、子供たち一人一人の性格・特長を知り、その性格や体格に合わせた練習内容や指導方法を考えなければいけません。とても骨の折れる作業ですが、やらなければ当然、練習内容や指導方法に対して向き不向きが出てきます。特に注意すべきなのはメンタル面です。子供たちの性格は、もちろん皆同じではありません。叱って伸びる子、ほめて伸びる子、理詰めで伸びる子、イメージ(たとえ)で伸びる子など様々です。同じ内容を伝えたい場合でも、相手次第で表現を変えることが必要になってきます。もっとも大事なことは、相手に自分の話したい内容を理解させることです。また伝えるタイミングも大事。今が教えるときなのか、いや気づかせるように促すのか、今この子は知りたがっているのか、助けを求めているのか…何でも教えりゃいいってもんじゃありません。試合での指示についても、同じように選手の性格や特長を知ることで方法論、作戦が大きく変わってくるはずです。とにかく子供たち一人一人をじっくり観察しなければ、本当の意味で『適切な指導』はできません。