【続・コーチングについて:その1】

 

1)『過保護』と『放任』

 筆者が少年野球のコーチをしていた時、よく悩んだのが「教えるべきか?見守るべきか?」という事です。小学生を相手にしていると、難しい理論を言っても子供には分かりませんし、簡単な指導も子供によって理解度も違います。また教えられることで、混乱する子もいます。そのために、まずその子供をじっくり観察し、しばらく様子を見る方がよいのか、今が教えるチャンスならば「この子なら、どう教えるべきか」を考えてから実行します。こうしたことから「コーチならいつでも教えるのが役目である」というのは、一概に言えないのではと筆者は考えてます。


 コーチの中には『過保護な指導』を行う方がいます。手とり足とり丁寧に教える人、技術論を語る理論派な人、自分の思うスタイルを押し付ける人…などがこのタイプとかもしれません。過保護というと悪いイメージがありますが、良く教えてくれる人という風に考えてもらっても結構です。その一方で、まったく何も言わないコーチもいます。技術は他の指導者に任せている人、ただ見守り本人が気づくまで待つ人…ある意味『放任指導』のタイプです。もちろんどんなタイプが良いかは、その指導者・コーチの個性次第であり、その善し悪しに結論は出ません。決して『過保護』『放任指導』を非難しているわけではありません。それが子供たちとマッチしてれば良い指導であるといえるはずです。いずれの場合も本当に子供のことを考えているのかということが大事ではないでしょうか。もし、指導者・コーチが自分の『指導する満足感』を満たそうとして指導しているならば、それは大間違いです。実際の現場では、丁寧の教えたり、しばらくは様子を見たりをうまくコントロールしながら指導を行っていらっしゃると思います。


 ある昆虫好きの解剖学者の方が話していたことですが「子供たちと昆虫採集するとき、決して虫の捕り方を教えない」そうです。虫の捕り方を自分で考え、試行錯誤の体験を通して、脳や体が学んでいくということだと思います。学ぶ環境を与えてやるだけ…これはある意味『究極の放任指導』だと思います。少年野球でも『究極の放任指導』ができないかと筆者は考えたのですが、捕り方・投げ方・打ち方・ルールなど、ある程度の基本は教えないと前へは進めないのが実情です。しかし『究極の放任指導』に教えられることは、子供自身が体感することで学ぶという点です。つまり、技術を押し付けたり語るだけでは体感にはなりません。重要なのは本人が“自らする”ことと、心と体に“気づかせる”ことだと思います。そして、その機会を与えることが指導の第一歩であるのではないか、と筆者は考えています。木があれば子供は登って自らの登り方を身につけます。そして木から落ちて、落ちたらどうなるかを知り、次は落ちないようにします。つまり登る技術が向上していきます。ならば、登ることが可能な木を準備してやるのが、指導者やコーチの役目かもしれません。

 指導者・コーチの皆さんは、どんなタイプですか?『過保護』or『放任』or『?』

2)野球アニメ・ドラマを考える

 筆者が子供の頃から、スポーツマンガは色々ありました。テレビでは『巨人の星』『あしたのジョー』などスポ根アニメが大ヒットしていました。最近では、アニメ『メジャー』やマンガからドラマになった『ルーキーズ』といったところが有名でしょう。こうしたスポーツものは、いつの時代もたくさんの子供たちに夢や希望を与えてくれているものです。しかし、『メジャー』や『ルーキーズ』などでふと思うのは「主人公は不良みたいな少年でないとだめなのかなぁ」ということです。マンガ・アニメやドラマは現実の野球社会とは欠け離れすぎているように思われることがよくあります。別に作品を非難するわけではありません。筆者も楽しんで見ていた視聴者の一人です。アニメやドラマなので誇張や空想など演出は当然であり、どこか現実離れした世界だからこそ引きつけられる魅力もあります。ただ「見ている子供はどう思っているのだろう?」と考えることがあります。「不良っぽいほうがヒーローになれると勘違いしていないだろうか」などと、筆者は老婆心ながら心配してしまいます。しかし実際、子供たちと話していると筆者のような見方をしている子供はいないようです。

 筆者が他に知っているマンガやアニメを思い出してみると…スポ根でおなじみの『巨人の星』の星雄馬は、ある意味、野球しか知らないかわいそう部分がありました。『タッチ』はスポーツマンガという点では異質かもしれませんが、どこか野球がドラマのために都合良くなりすぎているように思えます。マジメなキャラクターが活躍するものとしては『ドカベン』『キャプテン』などがありました(ドカベンは今もプロ野球で活躍しています)。水島新司さんの野球マンガは、型破りでもマジメなキャラクターがよくでてきて、筆者などは野球のおもしろさを感じていたように思います。『ドラえもん』では、よく空き地や原っぱで野球する場面がありますが、のび太がドラえもんの“ひみつ道具”を使って活躍するのはルール違反ではないでしょうか。確かにそこまでしても活躍したい気持ちは分からないでもありませんが…。そういえば筆者も子供頃「分身魔球だ~(侍ジャイアンツ)」「秘打“白鳥の湖”~(ドカベンの殿馬)」と変な投げ方や打ち方をしてみたりしました(ちゃんとした変化球も知らないのに)。

 とにかくアニメやドラマが子供たちに与える影響は少なからずあると思います。多くは野球そのものや野球の楽しさ、夢へ挑戦することなどを教えてくれます。でも、現実離れしている故に、科学的・現実的には間違った表現も存在しています。そんな間違いを子供たちが素直に信じていないか…心配なのは筆者だけかもしれませんね(疑心暗鬼を反省)。

 指導者・コーチの皆さんも、時々子供たちと野球アニメやドラマについて話してみてはいかがですか?

3)指導者の長い話はうんざり

 試合が終わると、試合会場の片隅で反省がはじまります。「今日はここがよかった。けど、あのプレーはダメだ…」などと監督のありがた~いお話を聞かされているチームを見かけます。勝てばまだしも、負ければ長~い反省会でダブルパンチ。反省をすることは大事なことですが、長い話は嫌ですよね。筆者は長い話をするくらいなら、少しでも子供たちと練習した方がいいと考えています。大人だって仕事で失敗した時、上司に長々とお説教されるのは嫌ではないでしょうか。長話をするのが好きな方は、自分が話をすることに満足感を感じていることが多いようです。自分の論を聞かせることが好きなのです。そのため語りに夢中になり、話し相手の気持ちが見えていない場合が良くあります。


 筆者は、指導するにあたって、子供たちには出来るだけ短く的確に、必要最小限の少ないポイントを分かりやすく話すことを心がけています。それは、子供たちは長い話では集中力が散漫し、肝心の内容が心に残らないと考えているからです。また話の中に伝えたいポイントが多いと、逆に多くが忘れられてしまいます。どんなに丁寧に100のポイントを指摘するより、もっとも重要なことを2つだけ伝えた方が良いのです。話をする時間は短ければ短い方が良いでしょう。話が長くなるならば、それなりの優れた話術が必要です。子供たちの興味を引き、夢中になるような語り口が求められるでしょう。しかし、それは指導においてかなりの上級テクニックです。小学校の先生は一つの授業に1時間弱を費やすのですから、一体どういう工夫やテクニックがあるのか教わりたいくらいです。


 間違いを指摘したり反省をする話の場合は、何をどう話すべきかよく考える必要があります。間違いや失敗を指摘するのは簡単ですし、こうした方が良いと口で言うのも簡単です。しかし、本当に大事なことは、次回につながるモチベーションを子供たちに与えることではないかと筆者は考えています。子供たちが試合に負けて意気消沈しているより「次はこうやっていけば勝てるぞ」または「こうすれば打てるようになる」と思えるような反省会や指導が筆者の理想です。敗戦など苦い思いも必要ですが、前進するチャンスを与えることも大切です。ドラマでは、指導者が「お前らこんなんじゃやめちまえ!」と突き放して、やがて選手たちが気持ちをあらためて指導者のもとにかえってくるなんてシーンがありますけど、指導者の余程の読みや人徳がないと狙ってはできないでしょう。


 脳科学によると、人は感情に響くものでなければ記憶に残らない、感情に響かなければ三日もたてば忘れてしまうと云います。子供を指導していると、1分前のことも覚えてないのかということもあります。ならばそれは、指導者の話がその子供の心(感情)に響かなかったといわれても仕方ありません。子供の心が指導者の言葉を受け入れる体勢にあるのかを見極めることは、重要な指導のテクニックです。彼らが指導を求めている時ならば、指導の言葉もしっかりと受け止めてくれるでしょう。試合後の反省もそういった受け入れる体勢(心に響きやすい状況)が現れる一つの機会と思います。また指導者と子供たちの間にある程度の信頼関係がなければ、言葉は心に届きにくいものです。信頼する人、尊敬する人、あこがれの人の言葉はありがたいものです。しかし一方で、信頼関係があるはずなのに『親心子不知』ともいいます。ということは信頼関係も重要ですが、やはり“心に響く”ということが最大のポイントかもしれません。そのポイントさえ分かれば、指導する話が長かろうが短ろうがかまわないのかもしれません。考えれば考える程むずかしいことですが、子供たちのことをよく考えれば、指導者の、その人なりの真剣さが子供たちの感情に伝わると信じたいものです。間違っても「感情的になれ」ということではありませんので、ご注意を。